各務原市立那加第一小学校歌声発表会

「天使の歌声」に陶酔



 2010(平成22)年10月30日午前,各務原市立那加第一小学校(岐阜県各務原市那加手力町)体育館において,同校の「ふれあいフェスタ2010 歌声発表会」が開催された。
 筆者が同校の合唱を鑑賞するのは初めてである。同校は合唱が伝統で,一目置(いちもくお)かれるほどの存在であると(うわさ)には聞いていたのだが,実際に同校の合唱を鑑賞し,それが真実であることが確認できた。小学生の合唱としては相当なレベルで,筆者がこれまでに鑑賞してきた岐阜県下の小学校225校の中では最も感動的な合唱であったと断言しても過言ではない
 合唱が始まるまではごく普通の小学生にしか見えなかった児童らが,一瞬にして「天使」のように思えてしまい,700余名の純真で崇高な「天使」達に囲まれた筆者は,深い陶酔感に浸っていた。


1年生 「せかいじゅうのこどもたちが
2年生  「語りあおう

3年生 「おかしのすきなまほうつかい
4年生  「空と風のきっぷ

5年生 「南風にのって
6年生  「この星に生まれて



「不知肉味」 全校合唱「さんぽ」
 かつてウィーン少年合唱団やドレスデン聖十字架教会合唱団などの名門合唱団の合唱を鑑賞したことがあるのだが,那加第一小学校の合唱はそれに匹敵するほどの高いレベルで,まさに「天使の歌声」であった。
 とかく大きな声で元気良く歌ってさえいれば及第点が与えられてしまいがちな,小学校における合唱のステレオタイプな観念を払拭(ふっしょく)させる,まさに先駆的(せんくてき)な学校だ。公立小学校の学年単位の合唱なのにもかかわらず,まるで学校そのものが合唱団のようで,まさに「那加一児童合唱団」であった。

 とりわけ最初の全校合唱「さんぽ」は衝撃的であった。この衝撃を文字で表現するのは決して容易ではないのだが,まるで味覚が麻痺するほどの強烈なショックに見舞われてしまった。
 中国の思想家・孔子(こうし)(前551年〜前479年)は,優れた音楽的センスの持ち主であったと言われている。彼が(せい)の国で(しょう)(伝説の聖天子(しゅん)が作ったとされる音楽)を聴いた際,あまりに感動して3ヵ月間,当時,最高の珍味であった肉を食べてもその味さえ分からなかったといい,「(はか)らざりき (がく)()すことの(ここ)(いた)るや(音楽のもたらす感動が,これほどまでに深いとは思いもしなかった)」と述懐している。つまり,どんなに美味しい物を食べても,味覚が麻痺するほど音楽に陶然としたということなのだが,今回の那加第一小学校の合唱もそれほど感動的だったのだ。

 ピアノも調律が行き届いているのが感じられ,弾力のある流麗なピアニズムの前奏にも感動したのだが,それに続く冒頭の「ラ」の4小節の部分の,高音と低音に分かれた二部のハーモニーの美しさに陶然としてしまった。頭声発声(とうせいはっせい)を意識した,高音域の美しい響きであった。
 およそ小学校の全校合唱と言うと,全学年主旋律を歌う,すなわち斉唱が一般的である。しかし同校では低学年は高音を,高学年は低音をそれぞれ担当しており,合唱に対する意識の高さがうかがえる。


天使の誘惑 各務原市立那加第一小学校
 それにしても,なぜ那加第一小学校はこれほどまでハイレベルな合唱ができるのだろうか。その手がかりを得るべく,筆者は半年後の2011(平成23)年4月23日に行われた授業参観を取材するため,「天使の牙城」を再訪した。当日は土曜日ということもあり,また当年度初の授業参観ということもあり,雨天にもかかわらず大勢の保護者でにぎわっていた(授業中である以上,本来は静粛にしなければならないが…。ちなみに同日の午後に訪問した大垣市の中学校では,生徒や教室内にいる保護者はもちろん,廊下にいる保護者でさえも私語がない粛然とした授業参観で,両校の落差に思わず嘆息をもらしてしまった)

 体育館へは歌声発表会の時に入ったことがあったが,教室棟に入るのは今回が初めてである。同校は1学級30人前後,各学年4学級ということで,小学校としては大規模な学校であるため,教室の数も多い。ただし,校舎は4階建てではなく3階建てであるため,建物面積は大きい。そのため2棟の校舎が東西を長く貫いており,児童用の昇降口の数は,筆者が確認しただけでも3ヵ所設けられていた。本校舎の1階には1年生,2階には2年生と3年生,3階には4年生と5年生の教室がそれぞれあり,6年生だけは渡り廊下で接続された西校舎の1階に4教室設けられていた。また,西校舎の2階には学習支援センターが設置されていた。 2年生の授業を参観する保護者ら。集中して参観する者もいる反面,私語をしたり,携帯電話を使用したりする者もいる。
 さらに,小学校でありながら駐輪場が完備されていた。当然,自転車通学する児童はいないのだから,その日は自転車は1台も駐輪されていなかった。休日にスポーツ少年団の活動等で来校する児童や保護者が利用するためにあるのだろうか。

 さて,授業参観は第1時限(午前8時45分〜9時30分)に行われたこともあり,直前まで朝の会を行っている学級もあれば,高学年ではすでに授業開始の準備を済ませ,係の児童が教壇に立って問題を出している学級もあった。
 ちょうど2年生の教室の前を歩いていた時だったが,図らずも上の階から蠱惑的(こわくてき)な歌声が聴こえてきたのだった。直ちに階段を駆け上がり,声の聴こえる方へと導かれていった。するとそこでは4年生が合唱練習に取り組んでいた。児童らは教室の後方で横3列に並び(自分の座席で済ますのではなく,わざわざ整列しているのが素晴らしい),係の児童4名程度は,指揮をしたり,CDプレーヤーを操作したり,歌詞の書かれた模造紙を黒板に貼付したり,終わってから感想を話したりと,それぞれの仕事をそつなくこなしていた。 6年生の社会科の授業。歴史の学習がスタートして間もない彼らが今回取り組んだテーマは「縄文と弥生のくらし」。縄文時代と弥生時代の集落の絵をそれぞれ見比べ,両者の違いについて気付いたことを発言していた。
 曲目は「ともだち」で,恐らく全校共通の「今月の歌」なのだろう。「きみのことしらなかったよ おなじこのみちかようのに きみのことしらなかったよ でもきょうからともだちだね」という歌詞で始まるように,新しい友達との出会いが多い4月にふさわしい曲だ。児童らは頭声発声を意識し,口を大きく開けて豊かな表情で合唱できていた。
 その後,2年生と3年生の学級でも同様に「ともだち」を合唱した後,授業を始めていた。高学年の学級まで巡回することはできなかったが,きっと同様に合唱に取り組んでいたことだろう。

 このように那加第一小学校では,歌声発表会の直前に限らず,しかも学級単位で合唱に取り組んでいる。合唱が日常生活の一部として定着しているからこそ,必然的に合唱の質も高い水準が維持されているのだろう。“常”の練習がいかに大切かがうかがえる。


連合音楽会の必要性
 ところで各務原市には市内の小学生が集う連合音楽会のような機会がないため,同市の小学校の合唱に関してはまだ鑑賞していない学校が多い。同市は「音楽の街」を標榜(ひょうぼう)しているのにもかかわらず,中学校も含めて連合音楽会が行われていないのは明らかに矛盾していると言えよう。
 連合音楽会は,児童らにとっては演奏を発表する側であると同時に,鑑賞する側でもあるという二元的な要素を持つ。自分達の築き上げてきた演奏を他校の児童に聴いてもらうことができる一方,自分達にはない長所を他校の演奏から吸収し,今後の取り組みに活かす,すなわち採長補短ができる貴重な機会であるという点において,連合音楽会は大変意義のあるものであると考えている。
 冒頭で述べた通り,那加第一小学校の合唱は,筆者がこれまでに鑑賞してきた岐阜県下の小学校の中では最も感動的な合唱であるため,さらに多くの人々に聴いてほしいと常々思っている。連合音楽会は,そうした素晴らしい歌声を多くの同世代の小学生に聴いてもらうことができる絶好の機会なのだ。
 各務原市においても,岐阜市や関市など近隣の市のように,大勢の人員を収容できるホール(各務原市の場合は各務原市民会館になるだろうか)を会場に用い,「各務原市小学校連合音楽会」(仮称)を創設することを強く要望したい。


那加第一小学校の歌声発表会は2010年より9年連続で取材しています。その記録については,ご要望があれば掲載したいと考えていますのでご希望の年をお知らせください。


トップへ戻る



【最終更新】2018年12月5日