学級合唱の有用性

なぜ中学校では学級単位で合唱するのか


小学校の合唱との違い
 教育現場における合唱というのは,合唱団などのように合唱を愛好している児童や生徒ばかりが集まっているわけではない。むしろ合唱が好きではない者の方が多いだろう。筆者自身も小・中学校時代は合唱にはほとんど関心がなかった。なぜ合唱をしなければならないのか理解できず,やむなく取り組んでいたに過ぎない(そんな筆者がなぜ現在は合唱に心酔するようになったのかに関しては,ご要望があればぜひお答えしたい)

 ところでなぜ中学校では学級ごとに合唱曲を選曲して合唱祭という行事に臨むのだろうか(合唱フェスティバル,合唱コンクール,合唱発表会,合唱交流会,合唱集会,文化集会,文化祭,学校文化の日等,呼称は学校によって様々だが,岐阜県においては合唱祭と呼ぶ中学校が最も多いため,便宜上,本稿では合唱を披露する一連の行事の呼称を「合唱祭」に統一する)。小学校でも合唱という活動を行い,その練習の成果を保護者や来賓,地域住民(同じ地域に住んでいるとは言っても,やはり自分と知り合いの児童が在籍していないと足を運ばないかも知れない),あるいはマスコミや筆者のような音楽関係者に披露する機会(音楽会,学習発表会等の呼称が多い)はあるのだが,それは必ず学年合唱であり,学級合唱ではない加茂郡八百津町立福地小学校の全校児童13名による合唱の様子。同校は2010年3月をもって廃校となり,同町立久田見小学校に統合された。 ただし,1学年1学級しかない小規模な小学校の場合は「学級合唱=学年合唱」となるわけだが,そのような合唱も幾度となく鑑賞してきた。

 学校によっては1学年だけでは人数が不足しているためか,2学年合同で合唱するところも多い。さらに極端な例を挙げれば,複式学級を採用しているであろうへき地の小学校の場合は全校で合唱するところすらある。
 これまでに全校児童30名未満による全校合唱を数回鑑賞したことがあるが(ちなみに最少の小学校は3名だった),1000人規模のマンモス校で育った筆者にとっては異次元の世界で,学年の枠を超えて1年生から6年生までが一丸となってひたむきに合唱する姿から「こんなに少人数でもみんな助け合って一生懸命生きているんだな」という感慨すら覚えたと同時に,「境遇こそ異なるが,自分も彼らのように強く,たくましく生き抜いていきたい」という堅固な“志”を抱いたのだった。


小学校における学級合唱の妥当性
 さて,小学校の合唱と中学校の合唱の最大の相違点は,学級合唱を披露するかしないか,という演奏形態にあるわけだが,それではなぜ小学校においては前述のような合唱を披露する機会を設けたとしても,学級合唱はせずに学年合唱しか披露しないのが一般的になっているのだろうか。
 最大の理由は,小学校においては中学校ほど学級の団結力や仲間同士の絆を深めることを追求しないからではないだろうか。5年生や6年生のような高学年であれば,そのような要素も必要となり得るが,低学年においてはそれほど重要視されておらず,むしろ喧嘩やいじめをせずに仲良くするといった集団生活の基盤を構築することが優先されるのだろう。小学校では高学年が低学年に妥協していると言えよう。

 もし小学校においても中学校のように学級単位で合唱を披露する合唱祭のような行事を開催したらどうなるだろうか。コンクールを兼ねるか否かは別として,まず小学校は中学校に比べ学年数が2倍になるため,学級数も多くなることが想定される。1学年2学級程度の小学校であれば都合12学級ということになるが,1学年4学級以上の大規模な小学校の場合は24学級以上,すなわち24曲以上ということになり,時間的な問題が浮上する。これは1学年7〜8学級程度の中学校の合唱祭と同等の規模である。
 実際,そのような大規模な中学校では,会場が学校の体育館の場合,時間的な問題を考慮してか学年別に開催する学校が多い。一方,会場が学校以外のホールの場合,全校生徒が収容できれば全校で開催するが,そうでなければ学年別に開催している(個人的には空間さえ確保できれば積極的に全校で合唱祭を開催すべきであると考えている。後輩にとっては先輩の合唱に憧れ,先輩にとっては自分達の伝えてきた合唱の伝統が後輩達に確実に継承されたか確認することができる貴重な機会となるからだ)
 合唱祭を全校で開催する中学校の場合,午前に1年生と2年生が,午後に3年生がそれぞれ学級合唱を披露するケースが一般的である。小学校においてもこのように昼食時間を挟んで終日行えば時間的な問題はクリアできそうである。しかし,休憩は与えられるとしても,果たして長時間にわたって鑑賞し続けられるほどの集中力が小学生にあるだろうか。筆者自身の経験からも,1日に多数の曲を鑑賞するのは意外に疲れるものだ。


運動会との違い
 小学校の全校行事の中で最も大規模で,児童らが楽しみにしているのは運動会ではないだろうか(修学旅行や宿泊学習,遠足等の校外での活動も確かに人気だが,全校児童が一堂に会して開催される行事の中ではやはり運動会だろう)。運動会は昼食を挟んで終日にわたって開催されるのが通例であるが,運動会が「動」であれば,合唱祭は「静」と言えよう
 運動会では自分の競技中は思う存分体を動かすことができ,また他学年の競技中は思う存分声を出して応援したり,特に徒競走やリレーなどでは予想外の展開に興奮したりすることができ,あっと言う間に時間の経過を感じるものである。
 これに対して合唱祭は,原則として合唱中以外は声を出すことができない(逆に言えば,声を出せる唯一の時間でもある合唱中に精一杯の声を出すことで,蓄積していた「動」のエネルギーを最大限に湧出させることが肝要なのである)。休憩時間は別として,座席とステージの移動中や,他学級の合唱中に話をしてしまったら私語とみなされる。運動会のように「がんばれ!」などといった声援も送ることはできず,ほとんどの時間で「静」を強いられる。

 結局のところ,小学校において学級単位の合唱を披露する合唱祭のような行事を開催したとしても,運動会ほどの盛り上がりは見込めない。また長時間が予想される学級単位の合唱を行うことも,小学校においては合理性を欠く。したがって,中学校では一般的に行われている合唱祭のような行事を,小学校においても同様に開催することはおよそ望ましくないと言えよう。
 運動会は必ず休日に開催されることもあり,大勢の保護者らが応援,撮影に詰めかけている。一方,合唱祭の場合は,現在,学級ではなく学年単位で開催している小学校の中にも休日に開催している学校はまだまだ少なく,(あなが)ち運動会ほど重要視されている行事とは言えないのが実情だ。
 畢竟(ひっきょう)するに,小学校においては現在のように学年単位で合唱を披露するのが最も合理的な形態なのである。どんな規模の小学校であれ,すなわち学級数が多かれ少なかれ,学年の数に関してはどの小学校も6学年という点で共通している。したがって要する時間に大きな差はなく,長くても2時間程度だろう。各学年2曲ずつ披露したとしても,全校合唱と合わせて都合13曲で済むのである(ただし,時間に差はなくても1曲あたりの演奏人数は学校によって差が生じる。それを強く認識させられるのが,様々な規模の小学校が一堂に会する連合音楽会だ)


“ブラヴォーおじさん”
 ところで演奏が終わると拍手をして感謝や(ねぎら)いの気持ちなどを伝えるのが一般的である。合唱中の私語は厳禁であることはすでに述べたが,拍手だけでは物足りない場合,「ブラヴォー」と叫ぶことは例外的に認められている。実際,演奏の度に「ブラヴォー」を連発していた校長のいた中学校があった。1学年7学級で,学年別に開催する中学校だったが,1年生の生徒らもそれに感化されて元気良く「ブラヴォー」と叫んでおり,運動会のように盛り上がっていた(会場には2,3年生がいなかったため,先輩に気兼ねする必要がなかったこともあるだろう。ちなみに肝心の合唱の方も大きな声で歌えていて感動した)。また別の中学校では,「ブラヴォー」を多用するあまり,生徒らから“ブラヴォーおじさん”と呼ばれていた校長もいた。
 いずれにせよ,拍手だけではどうしても物足りない場合に限り,「ブラヴォー」を使うのも良いだろう。ただし,くれぐれも合唱中や,合唱が終わった途端には叫ばないように留意してほしい。とりわけ静かに終わる曲の場合は,終わった後にも音楽の余韻は続いている。完全に沈黙に戻るまでが音楽なのだ。拍手に関しても同様だが,指揮者が指揮台から降りて聴衆に向かってお辞儀をするまでは叫ばないようにするのがマナーである。
 余談だが,「ブラヴォー」は男性単数形であるため,イタリアでは女性に対しては女性形の「ブラヴァ」,複数の人々に対しては「ブラヴィ」と言うようであるが,強ちイタリア人の真似をする必要はないだろう。


学級合唱の3大意義 …… 一体感,所属感,有用感
 特に中学校における学級単位の合唱というのは,合唱そのものの質を磨くことが目的ではなく,合唱を通して仲間づくりをする(仲間同士の“絆”を高次元なレベルに昇華させる)ことでより緊密な信頼関係を構築することが最大の目的なのではないだろうか。合唱というのはそのような目的を実現させるための,合目的的(ごうもくてきてき)な手段であると言えよう。

 仲間とともに共通の「想い」(「思い」ではなく,「想い」)を持ち,全員が心をひとつにすることで「自分と同じ想いをみんなが持っているんだ」という一体感や「自分は○年○組の一員なんだ,自分がいるからこそ○年○組の合唱が成立するんだ」という所属感,「自分は○年○組に貢献しているんだ,役に立っているんだ」という“有用”感(指揮者は学級の先頭に立ち,曲全体の統率者として学級に貢献し,伴奏者は陰での地道な練習に加え,教室での常日頃の練習ではキーボード,本番ではピアノを通して学級に貢献し,歌い手は声や表情など〔曲によっては手拍子や足踏みを交えた曲もあるだろう〕で学級に貢献するのである)を味わえるという点が,中学校における学級単位の合唱の最大の意義である(“みんなで歌おう 心をひとつにして”という歌詞で始まる混声合唱曲「マイ バラード」には,特に中学生が合唱する上でのエッセンスが歌詞に盛り込まれており,筆者の好きな合唱曲のひとつでもある)。そして,その合唱を実際にステージで披露することにより,聴衆も含めた会場全体の一体感を創造するのである。


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【最終更新】2013年6月20日