中学校教育における学級合唱の目的と意義
では,その合唱の本質というものを端的に表現してみよう。合唱とは「“仲間”の大切さを痛感し,それを他者に伝えることができる最良の活動」に尽きるだろう。とりわけ中学校における学級単位の合唱というものは,日常生活そのものが如実に反映されると考えている。合唱は「常を映す鏡」だ。
例えば学校生活の大半を占める「授業」においては,授業評価オール5(学校によっては「オール5A」のところもある)を目指すべく,学級一丸となって全員挙手や目標挙手回数を達成できるように取り組んでいる中学校もある。授業評価オール5とは,その日に実施された授業の評価が全て最高位の「5」になることである。例えば6時間目まで授業のある日は,各授業の評価が6回とも「5」にならなければその日の「授業評価オール5」は達成されないことになる。
筆者が取材した学校の中には,1ヵ月間に全校で「挙手5万回」に取り組む学校があった。全員挙手の背景には「挙手してよ」という「呼びかけ」であったり,仲間同士の「教え合い」もあるだろう。ただし,呼びかけに関して留意しなければならないのは,呼びかけをする人は必ず挙手をしている,ということである。自分が挙手をしていないのに「挙手してよ」と呼びかけるのは説得力がないからだ。
授業評価オール5を達成するためには,私語をせずに集中して授業に臨むことも大切である。授業は私語がないのが理想的だが,もしも私語があれば「静かにしてよ」という「呼びかけ」が必要だろう。先生に注意される前に,私語している人が所属する班の班長が直接注意するのが重要だ。また,私語をする人が増加し,教室全体が騒々しい場合は,その教科の教科係が率先して呼びかけをすべきである。場合によっては,その教科係の所属する班の班長などの協力も必要になってくるだろう。
学校生活が家庭での生活と大きく異なるのは,「同年齢の仲間とともに生活する」ということである。学校へ通うのが楽しいと感じる子どもたちにとっては,その最大の理由は「友達と会えるから」であり,「勉強が大好きだから」という子は少ないだろう。学校という所は,勉強だけでなく,様々な学校行事(合唱祭はもちろん,体育大会や修学旅行,宿泊研修,職場体験,避難訓練,卒業式など)をはじめ,係活動,あいさつ運動,掃除,給食の配膳,そして合唱練習などといった日常的に行う活動もある。こうした活動を通して,集団生活を営む上での規律や仲間の大切さを無意識のうちに学ぶことができる。わざわざ学校まで通学する意味はそこにあるのであり,勉強だけしたいのであれば通信教育でも済んでしまう。
中学校における学級単位の合唱は,そうした日常生活を一緒に過ごしている仲間との合唱である。だからこそ,合唱ではそのような仲間との絆がどれほど深いものかが問われてくる。そうした仲間同士の絆は,週に1回程度しか顔を合わさず,本番前に集中的に練習するような合唱団の合唱から感じ取ることは難しい。筆者の専門がプロの合唱団の合唱ではなく,ごく普通の中学生の合唱であるのは,音楽的な技術の高さではなく,仲間同士の絆の深さを求めているからだ。すなわち,たとえ音程が不安定であったり,強弱の表現が曖昧であったりしても,指揮者が合図をしたら瞬時に全員が指揮者の方に体を向けたり(これは「指揮者」というひとりの仲間を大切にする姿勢を示すことでもある),全員が大きな口で表情豊かに合唱する(思春期の中学生にとっては恥ずかしいことではあるが,お互いの仲間を信じる気持ちがあればできるはずである)ことで学級の一体感を示される方がむしろ感動してしまうのだ。
合唱は,ひとりではできない。仲間がいるからこそ成立するのであり,すでにこの客観的事実からも仲間の大切さを実感することができる(混声合唱曲「マイ バラード」には,“仲間がここにいるよ いつも君を見てる 僕らは助け合って 生きてゆこういつまでも”という歌詞があり,仲間の大切さが伝わる曲である。そしてこの部分を特に気持ちを込めて歌う合唱に出合えた時,深く感動してしまう)。学級単位で合唱という活動に取り組むのは原則として中学校だけであり,小学校や高等学校では行われない。中学生の諸君には,「なぜ合唱をするのだろう」ということを自分なりに考えた上で,ぜひ合唱を通して日常生活をともに過ごす学級の仲間のことを想う温かい心を大切にしながら,仲間との絆を一層深めていってほしい。そして,その絆を,合唱という手段を通じ,歌詞やメロディーに託して他者にも伝えてほしい(混声合唱曲「絆」も,仲間の大切さが伝わる曲で,筆者の好きな曲の一つである)。