音楽は時間の芸術


生演奏の醍醐味
 聴き手の魂を揺さぶるようなどんなに感動的な音楽でも,演奏が終わればその瞬間に雲散霧消(うんさんむしょう)(雲や霧のように跡形もなく消え失せる)してしまう。残されたのは,演奏が生み出してくれた,感動の余韻(よいん)のみである。

 絵画や彫刻,建築などといった造形芸術,あるいは詩や小説,戯曲などといった言語芸術は,有形の芸術であるため,いつでも鑑賞することができる。

 他方,音の構造物である音楽のような音響芸術というものは無形の芸術であるため,演奏されているその時間しか鑑賞することができない。そういう意味では,音楽は“時間の芸術”と言える。

 CDなどに録音してしまえばいつでも(よみがえ)らせることが可能であるのは事実だが,やはり生演奏の音質には匹敵しないだろう。加えて,同じ時に,同じ所で,同じ音楽を聴くという共通の目的のために居合わせた大勢の聴衆とともに,同時に感動を共有できるのも,やはり生演奏でしか味わうことはできない


拍手に隠された意味
 演奏が終わると決まって拍手喝采(はくしゅかっさい)が送られるが,本当に素晴らしい演奏が行われた時というのは,まだ残響があったり,指揮者が腕を下ろさなかったりするうちから拍手を始める人がいるものである(ただし本来は,演奏終了直後のしばしの余韻も含めてその音楽であるとされるため,指揮者が腕を下ろすまでは拍手をしないのがマナーである)。それは,感動を与えてくれたことに対する感謝の気持ちを,誰よりも早く演奏者に伝えたいという意志の表れなのだろう。場合によっては,そうした聴衆の気持ちに応える形でアンコールが演奏されることもあるが,それは演奏者と聴衆の“双方向”のコミュニケーション〔聴衆の拍手(言葉なき「呼びかけ」)に演奏者が応えて再演するという関係〕の中でこそ生まれるものであり,その場にいなければ決して堪能できない。

 また,「拍手」の時間というのは,聴衆が演奏者を称賛する時間であると同時に,聴衆同士が共通の感動に浸ったという事実を確認し合える時間でもある。演奏者と聴衆のみならず,聴衆と聴衆の心もひとつになる――まさに会場全体が渾然一体(こんぜんいったい)となった形である。


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【最終更新】2011年11月11日