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「ふるさと」 「伊奈波中学校校歌」 | ![]() ![]() |
さて,冒頭で今回の閉校は「小学校区の区割り変更による中学校再編」に伴うものであると述べたが,やや複雑であるため説明を加えたい。まず今回の再編を理解する上で確認しておかなければならないポイントが2点ある。
1点目は,伊奈波中学校区が擁していた3小学校(岐阜小学校,則武小学校,早田小学校)のうちの則武小学校の卒業生が,伊奈波中学校と島中学校とに分かれて進学していたという点である。島中学校は,800名を越える大規模校であったため,則武小学校区のみを分離することにより,肥大化の抑制を図ったのである。
これにより,これまで伊奈波,島両中学校に分かれて進学していた則武小学校の卒業生は,いずれも新たに開校した岐阜清流中学校に通学することになったのである。岐阜清流中学校の校区は,則武小学校の他に,早田小学校がある。早田小学校は,伊奈波中学校区だった小学校である。
なお,この岐阜清流中学校は,伊奈波中学校とともに今回の再編で閉校となった明郷中学校の跡地に開校した学校である。そのため,岐阜清流中学校は,単に明郷中学校から改称された学校であると誤解している人々もいるようだが,決してそうではないということを強調しておきたい。
ちなみに廃校となった伊奈波中学校の校舎や体育館は後に全て解体され,更地となった。岐阜市における廃校の活用例としては,旧・芥見南小学校跡地の岐阜市教育研究所,旧・岐陽中学校跡地の岐陽体育館などがある。
隣の各務原市の事例ではあるが,岐阜県立岐阜各務野高等学校岐女商校舎の跡地は,隣接する各務原市立那加第一小学校が活用しており,2016年4月現在,5,6年生の8教室や音楽室,図工室等が設置されているほか,学習支援センターや各務野吹奏楽アカデミーもそれぞれ設置されている。
なお,伊奈波中学校の跡地には,隣接する岐阜県立岐阜商業高等学校の屋内運動場が建設されることがすでに決定している。
2点目は,伊奈波中学校の校区が,長良川を隔てた地域にも及んでいたという点である。長良川は岐阜市の中央部を流れる河川で,川の北側の地域は「川北」,南側の地域は「川南」と呼ばれている。伊奈波中学校は川北に位置していたのだが,川南の岐阜小学校区の生徒らは長良川を越えて通学しなければならなかった。
また,岐阜小学校区は岐阜市中心部の校区で,岐阜市の前身の岐阜町だった伝統的な地域であるのに対し,則武,早田両小学校区は後に岐阜市に編入され,開発が進められた地域である。こうした異なる経緯を持つ川北,川南の中学生が同じ学校に通うというのは少なからず不協和音があったようで,今回の合唱もその表れだろう。ただ,そうした人間関係の不和が最後まで
本来であれば,川北と川南で別々の中学校を設置するのが望ましかったと思われるが,川南側の用地不足という物理的な問題も絡み,実現できなかった。それが今回,川南に廃校となっていた小学校と盲学校の跡地に岐阜中央中学校が建設されたため,川北まで通学していた中学生が,長良川を越えずに川南の学校へ通学できるようになったのである。
ちなみに,岐阜小学校区の生徒は伊奈波中学校への通学に際し,金華橋を利用して長良川を渡っていたようであるが,この金華橋から眺める金華山や長良川などの景色の美しさが,生徒らに明日への活力を与えていたようである。
加えて,先述の通り今回の再編では明郷中学校も同様に閉校となった。この明郷中学校区の明徳小学校,本郷小学校も川南の小学校だったのだが,両小学校は統廃合により明郷小学校となり,岐阜小学校同様,岐阜中央中学校区として再編された。
(旧・明徳,本郷) | ||||