岐阜市立伊奈波中学校閉校式

最後まで(くすぶ)った「不協和音」



 2012(平成24)年3月26日,岐阜市立伊奈波中学校(岐阜市則武)体育館において,同校の閉校式が挙行された。この閉校式の中で全校生徒による合唱が披露され,65年の歴史に幕を閉じた。
 今回の閉校式は,同校が平成23年度をもって閉校されるのに伴って行われたわけだが,それは生徒数が減少したという理由で閉校が決まったわけではない。閉校した時点での生徒数は約560名で,最も多かった時期の2000名超に比べれば少ないものの,決して小規模校ではない。今回の閉校は,生徒数の減少による統廃合に伴うものではなく,「小学校区の区割り変更による中学校再編」に伴うものである。


旧・岐阜市立伊奈波中学校
伊奈波中学校OB・細江岐阜市長による祝辞
全校合唱
ふるさと」  「伊奈波中学校校歌
吹奏楽部による伴奏
在校生が制作したモザイク画の披露
学校長から市教育長へ校旗の返納


 今回披露された曲は,「ふるさと」及び「伊奈波中学校校歌」の2曲。これまで同校の合唱に関しては,学年合唱しか鑑賞したことがなく,全校合唱は今回が初めてであった。閉校式という最後の機会であるだけに,きっと生徒らも最高の合唱で締めくくろうと練習を頑張ってきたに違いないと大いに期待していた。しかし,実際の合唱は,声が小さくて迫力がなく,全く歌っていない生徒もおり,およそ全員の心がひとつになった「合唱」とは言い難いものであった。
 とりわけ目についたのは,3年生の醜態である。会場の後方に列席していたためよく見えたのだが,服装が乱れていたり,指揮者に注目していなかったりと,儀式に臨む姿勢としては常軌を逸しており,下級生の方が断然良かった。「最後の卒業生としての自覚があるのだろうか」という懐疑心が増幅したのは言うまでもない。
 また,会場では吹奏楽部が合唱の伴奏をしていたこともあり,余計に声が小さく感じられてしまったが,だからこそ,より大きな声を出さなければならなかったのではないだろうか。自分達の代で閉校になるということの意味を理解しているようには到底思えず,最後の在校生としての自覚がおよそ感じられない,65年の歴史に終止符を打つには極めて不相応な合唱で,甚だ嘆息,辟易,落胆した
 しかしながら,そんな中でも筆者の心を動かしたのは,1年生の男子が特に頑張っていたということである。合唱中,会場の前方から変声期前の柔らかく,温かいながらも力強く,昂然(こうぜん)とした声が届き,1年生の男子の声だと察した。一般的に全校合唱の場合,1年生の男声というのは2,3年生の低い声に飲み込まれてしまうため,聴き取ることは困難である。それでも明瞭に聴き取れたのは,それだけ2,3年生の声が小さかったことに他ならない。1年生の男子からは,中学校入学を機に出会った仲間と1年で別れなければならない寂寥感(せきりょうかん)を抱きつつも,むしろそうした苦境を発条(ばね)に,次年度から通学するそれぞれの学校でも頑張ろうという決意のようなものが伝わり,これから新たな学校の草創期を担う彼らが頼もしく感じられた。

 さて,冒頭で今回の閉校は「小学校区の区割り変更による中学校再編」に伴うものであると述べたが,やや複雑であるため説明を加えたい。まず今回の再編を理解する上で確認しておかなければならないポイントが2点ある。
 1点目は,伊奈波中学校区が擁していた3小学校(岐阜小学校則武小学校早田小学校)のうちの則武小学校の卒業生が,伊奈波中学校と島中学校とに分かれて進学していたという点である。島中学校は,800名を越える大規模校であったため,則武小学校区のみを分離することにより,肥大化の抑制を図ったのである。
 これにより,これまで伊奈波,島両中学校に分かれて進学していた則武小学校の卒業生は,いずれも新たに開校した岐阜清流中学校に通学することになったのである。岐阜清流中学校の校区は,則武小学校の他に,早田小学校がある。早田小学校は,伊奈波中学校区だった小学校である。
 なお,この岐阜清流中学校は,伊奈波中学校とともに今回の再編で閉校となった明郷中学校の跡地に開校した学校である。そのため,岐阜清流中学校は,単に明郷中学校から改称された学校であると誤解している人々もいるようだが,決してそうではないということを強調しておきたい。
 ちなみに廃校となった伊奈波中学校の校舎や体育館は後に全て解体され,更地となった。岐阜市における廃校の活用例としては,旧・芥見南小学校跡地の岐阜市教育研究所,旧・岐陽中学校跡地の岐陽体育館などがある。
 隣の各務原市の事例ではあるが,岐阜県立岐阜各務野高等学校岐女商校舎の跡地は,隣接する各務原市立那加第一小学校が活用しており,2016年4月現在,5,6年生の8教室や音楽室,図工室等が設置されているほか,学習支援センターや各務野吹奏楽アカデミーもそれぞれ設置されている。
 なお,伊奈波中学校の跡地には,隣接する岐阜県立岐阜商業高等学校の屋内運動場が建設されることがすでに決定している。

 2点目は,伊奈波中学校の校区が,長良川を隔てた地域にも及んでいたという点である。長良川は岐阜市の中央部を流れる河川で,川の北側の地域は「川北」,南側の地域は「川南」と呼ばれている。伊奈波中学校は川北に位置していたのだが,川南の岐阜小学校区の生徒らは長良川を越えて通学しなければならなかった。
 また,岐阜小学校区は岐阜市中心部の校区で,岐阜市の前身の岐阜町だった伝統的な地域であるのに対し,則武,早田両小学校区は後に岐阜市に編入され,開発が進められた地域である。こうした異なる経緯を持つ川北,川南の中学生が同じ学校に通うというのは少なからず不協和音があったようで,今回の合唱もその表れだろう。ただ,そうした人間関係の不和が最後まで(くすぶ)り続けてしまったのは残念である。
 本来であれば,川北と川南で別々の中学校を設置するのが望ましかったと思われるが,川南側の用地不足という物理的な問題も絡み,実現できなかった。それが今回,川南に廃校となっていた小学校と盲学校の跡地に岐阜中央中学校が建設されたため,川北まで通学していた中学生が,長良川を越えずに川南の学校へ通学できるようになったのである。
 ちなみに,岐阜小学校区の生徒は伊奈波中学校への通学に際し,金華橋を利用して長良川を渡っていたようであるが,この金華橋から眺める金華山や長良川などの景色の美しさが,生徒らに明日への活力を与えていたようである。
 加えて,先述の通り今回の再編では明郷中学校も同様に閉校となった。この明郷中学校区の明徳小学校本郷小学校も川南の小学校だったのだが,両小学校は統廃合により明郷小学校となり,岐阜小学校同様,岐阜中央中学校区として再編された。


中学校再編に係る小学校区の区割り新旧対照表
再 編 前
校区の小学校
再 編 後
概算生徒数
中 学 校
中 学 校
概算生徒数
約200名
明郷中学校
明郷小学校
(旧・明徳,本郷)
岐阜中央中学校
約390名
約560名
伊奈波中学校
岐阜小学校
早田小学校
岐阜清流中学校
約560名
則武小学校
約830名
島中学校
島小学校
島中学校
約670名
木田小学校
城西小学校



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【最終更新】2016年4月1日